導かれて 1章


1-1
どこまでの続く虚空が、そこにはあった
 
 
 
辺り一面に一分の分け目もなく広がる暗闇は、
全てのものをひきずりこもうとばかり
ただ沈黙のうちにどっしりと立ち構えていた
 
 
一滴の灯さえただちに吸い尽くすほどの濃い暗闇は、
さまざまなものを孕んだまま
ただただ永久にただよい続けるのであった
 
 
内で蠢くものたちに、突き動かされて
 
 
 
 
  
風が吹くはずはないのに、
黒のカーテンが、ほんの少し、はためく
 
 
 
そして再び無
 
 
 
また、音もなく、暗闇がはためく
 
 
 
 
 
まるで孕まれた子供が、
少しばかりじゃれて
母親の子宮を蹴るかのように、
闇に孕まれたものが
ベールの向こうからほんのわずかばかり
自分を包むものを押したかのようであった
 
 
 
静寂に波紋が広がり、闇が揺らぐ
 
 
覆いとなっていた暗闇が千切れ、細い線となり背後に退く
 
その中に隠していたものを、ほんのわずか、見せてくれる
 
 
 
 
 
 
 
少女だ
 
 
 
 
 
闇にまぎれて、見知らぬ少女が、そこにはいた
  
 
 
 
 
しかし、絶えず忍び寄る闇の手は
かろうじて見えたその輪郭を、再び漆黒の中へ連れ戻していく
 
 
 
どこまでも伸びていく暗がりは、
沈みゆく物に容赦なく群がりむさぼり食らう水のごとく
その少女の身体を闇へと引き戻す
 
 
 
 
 
 
それにしても、、、、、
この少女は、、、、 
 
 
1-2
奥深くまで澄みわたった海の底からゆっくりと身体が浮かび上がっていくように、
茂樹は眠りの底から戻ってきた


海底の奥底から見える陽の光のごとく、カーテンが朝陽が漏れ
新しい一日が来ていることを告げる
 
 
 
夢を見ていたのか
 
茂樹は自分の部屋を見渡しながら、独り言を言った
 
 
大きく息を吸うと、
身体の隅々まで力が行き渡り
ほのかに暖かくなっていく
 
 
息を吐き、まだかすかにだるさの残る身体をベットから引き離す
 
 
 
それにしても、なんという夢だろう
 
脳裏にはいまだに、あの少女の姿形がはっきりと残っていた
 
 
 
まったく見知らぬ少女だ

なぜ、夢の中に見たこともない少女なのに、
こんなにもリアルに姿を覚えているのだろう
 
 
 
カーテンを開け、窓を開く

朝の新鮮な風が、暗がりの隅々にまで入り込んでいく
 
 
 
 
ふと、その時ドアの向こうでノックが聞こえた
 
 
「茂樹君、起きているかい」

「はい、起きています
おはようございます 叔父さん」

「そうか、おはよう
朝食の用意が出来たよ
下へおいで」

「ありがとうございます」
  
 
 
 
簡単に伸びをすると、
クローゼットから着替えを取り出し着替えた後
階段を下っていった

洗面所で身支度を整え、リビングへと行く

テーブルの上には、2人分の食事が用意されていた
 
 
 
 
茂樹はそれを食べつつ、朝の軽やかな静けさの中で
じっと聞き耳を立てていた
 
 
目覚め始めた街は、さまざまな生活音を自らの中に刻み込んでいく
 
あいさつをする街の人に
小鳥の鳴く音に
自転車が通り過ぎる音
 
 
 
 
朝の始まりだった
 
 
 
 
 
 
2階から誰かが階段を下りてくる規則的な足音が聞こえる
 
ドアが開き、その足音の主が姿を見せた
 
 
「おはよう  優菜」
「おはよう  お兄
 
 待ってて   今顔洗ってくる」
 
 
優菜と呼ばれた少女は、そのまま奥へと引っ込んだ

すると、入れ違いにまた叔父がやってきた

「朝食はどうかね、茂樹君」
 
「おいしいです、ありがとうございます」
 
 
「優菜くんも起きたか
結構なことだ

さて、申し訳ないが、私はもう行かなければ

良い一日をね」

「ありがとうございます、叔父さんも」
 
 
 

すると洗面台から優菜が洗顔をすまして、リビングに入ってきた
 
 
 
「優菜くん、おはよう」
 
 
 
しかし優菜は簡単に会釈しただけで、
返事もせずそのまま席に着くと朝食を食べ始めた
 
 
叔父は心配そうな視線を向けていたが、
やがて靴を履いて玄関から出かけて行った
 
 
 
ドアが閉まり、叔父の出かける音が遠ざかると
茂樹は妹の方へ向き直った
 
 
「あまり叔父さんに失礼な態度をとるんじゃないぞ
挨拶くらいしなきゃダメじゃないか」
 
 
 
「でも、本当の家族じゃないし」
 
 
 
「そうだけど、叔父さんが世話してくれてるから
ここに住まわせてもらってるんじゃないか

ここを追い出されたら、どこへ行けっていうのさ」
 
 
 
「いいもん、お兄と暮らすから」
 
 
 
茂樹は暗い気持ちになりつつ、
食べかけの朝食に視線を落とした
 
 
まだ13歳にしかならない優菜には、
世の中のことがわかっていないのだ
 
 
お金がないというのなら、どうやって生活していけというのだ?
 
 
彼らの本当の家族、
つまり2人の両親は一昨年事故で亡くなってしまった
 
それ以来もともとテレビも電灯すらもない田舎で暮らしてきた兄妹は、
都会に住む父親の叔父を頼って今住んでいる街にまで引っ越してきたのだ
 
 
未だに優菜は、両親が自分たちと一緒に暮らせない
そして家族がみんな揃うことはもうないという現実を受け止めきれずにいる

それを言うのであれば、茂樹も同じだ
 
未だに両親の事故のことを、現実だとはとらえられないでいる
 
 
優菜の通信教育にかかるお金のことや
自分のこれからの生活のことを考え、
重くのしかかる厳しい現実が


茂樹は憂鬱な気持ちで朝食を終えた


両親がいないことの寂しさが、
お金が常に足りないことの惨めさが、
彼を押しつぶしたからだ

 
 
 

2-1
陽が沈み始めた
 
 

陽の光が立ち去って暗くなりつつある灰色の密林は、
やってきた漆黒の呼びかけに応じて
不気味な光を灯し始めた

虚ろで命のない光は周囲を照らし、
無機質なコンクリートに蠢く影を作り出していく

死んで防腐処理を施された者達が
生きてる者達の真似をする
 
 
 
 
夜が訪れたのだ
 
 
 
 

用事が長引いた茂樹は
その化け物たちがひしめく通りを足早に通り過ぎていった

彼にとって夜の街は得体のしれない場所であった

金属と金属のぶつかる音、生気なく機械的に動く人形、くすんだ光を投げかける蛍光灯

全てがただ、恐怖の対象でしかなかった

彼を生み、育んでくれた
木々の柔らかさも、風のささやきも、大地を満たす生命の脈動も、
ここではその欠片さえ見せてはくれない
 
 
あるのは時計仕掛けの臓物を縫い付けられた死者達と
不快で耳をつんざき脳を揺らす金切り声をあげる巨人と
皮膚が焼けただれ傷跡のケロイドから電気回線の焦げた匂いをむき出す鉄の奇形児のみであった
 
  
 
 
彼らは本当にかつて生きていた者達だったのだろうか
 
 

ここでの風景は、
まだ彼がほんの小さかった頃、
優菜と一緒に読んだ本の中に描かれている地獄の風景を思いおこさせた
 
 
人を殺した者、嘘をついた者、人をだまして盗みを働いたものは
死んだ後に閻魔大王が住む地獄へと落とされ、
煮え立つ血の池に放り込まれ、千本の針でできた小山を歩かされ、
舌を抜かれ目をくりぬかれた亡者たちが苦痛にのたうち回るところへ
放り出されるのだ
 
 
その話はまだ小さかった彼の心にとてつもない恐怖心を呼び起こしたが、
茂樹にとって夜の街は、同じ風景に見えたのであった
 

 
 
狂人たちの騒々しさが静寂を噛み
宙を舞う油の味が道端に咲く花の蜜の香りを犯すように、
低俗な化け物達に生命溢れるものが毒されていく嫌悪感
 
 
 
 
2-2
茂樹は家に駆けこむと、まっさきにドアを閉め鍵をかけた

 
家の中はいつもの彼の知っている世界だった
 
沸き立つコーヒーから広がるまろやかな香り
落ち着いたリズムを刻む時計の秒針
 
静寂の内に調和した、いつもの世界
ハマスホイの絵画の中のような、穏やかな世界
 
 
 
大きく息を吸って、大きく息を吐く
 
さっきまでの毒ガスのような腐った排気ガスが
未だに彼の肺を掴んで離さないでいた
 
 

洗面台へ向かい蛇口をひねる
らせんを描いて水が流れる
 
茂樹は洗面台の上に覆いかぶさるように手をついた
 
 
燃え滾る溶銑が食らいついているかのように
茂樹の肺は焼けていた
 
黒い蟲が内蔵の代わりに蠢き、互いに共喰いし喰いちぎりあっていく
赤熱の刃が腸から突き上げ、脳に焼き鏝をあてる
 
 
 
 
そして、、、
 
 
茂樹は、落ちていった
 
 
 
 
2-3
、、、
 
 
 
あつい、、、
 
 

身体が、、、火のように、、、、、、燃えている、、、
 
 
 
 
  
身体中の肌が寸刻みで鉄灸を押し付けられている
 
水ぶくれが熱に耐え切れず破裂する
 
 
錐で穴をあけられ溶岩を流し込まれたかのように
身体の内側が燃え盛っていく
 
 
内臓が沸騰し眼球が蒸発する
 
のどぼとけと耳が溶けて肉の塊となり
腕が炭のような枯れ枝に変わっていく 
 
 
 
死が、眼前に迫っていた
 
 
 
迫りくる死の目前で
何かが僕を掴んだ
 
 
 
 
 
 
少女だ
 
 
 
 
 
 
少女が、火が燃え移るのも構わずに
炭と化してく僕の身体を引き寄せる
 
少女は何事か必死で叫び、僕に伝えようとしてくる
 
しかし、その叫びは炭となりつつある僕には届かない
 
 
少女の絶叫する言葉も、伝えようとする思いも、
僕には無としてしか届かない
 
 
視界がかすみ、死が僕をさらっていく
少女との永遠の別れが、近づいてくる
 
 
  
死が僕に触れる、まさにその間際、
溶ける筋肉と灼熱にさらされる神経の許す限りの力で、
僕は唇を動かす
  
 
 
 
 
  
僕は       
 
 
 
 
 
 
 
君を     愛してる