人と人がつながりあうのって難しいよねって話 2章

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ソシュールはほかにもいろいろなことを考えているのですが、
とりあえずここまでにします

興味がある人は読んでみてください
本当にいい本ですから

「一般言語学講義」そのものでもいいですし
丸山圭三郎さんという方がわかりやすい解説本を出されてます

最初は全然正しく読めなくても大丈夫だと思うんですよ
概要が何となくつかめればそれで大丈夫

僕だって、「一般言語学講義」の「音声学の原理」なんてところは
正直つまんなくて読んでないです

そういう試行錯誤や思い違いの繰り返しの果てに、
自分なりの解釈やら見解が生じて、新しくおもしろい考えが生まれてくるんですから


で、このソシュールって人は超有名人でしたので
たくさんの人が彼のこの考えを受け継いで
新たに自分の考えを作り出していったわけです

そんな中で、ジャック・ラカンっていう人がいます

ラカンも本当にいろいろなことを考え出した人なんですが
ここではその中でいくつかの考えだけに絞って取り扱っていきます


「大文字の他者」と「対象a」って考えです


難しい言葉ですけれど、かみ砕いて説明すると
大文字の他者っていうのは「ルール」のこと
対象aっていうのは「ルール内での望み」のことです

例えを挙げてみると
今の日本で「お金稼ぎたい」って人はたくさんいるんですよ

資本主義社会ですからね、お金あれば色々なことができるわけですよ

親友と旅行行ったり、おいしいものたべたり、家を建て替えたり  なんかして

いいですよね
僕もお金たくさん稼ぎたいです

でもですね、世の中には「お金」って考えがないところもあるんですよ
日本にも、かつてはそんな時代があったんです
縄文時代とか弥生時代とか


そういうところに住んでる人たちが「お金稼ぎたい」なんて考えるはずがないですよね

望みといえば「もっと良い弓矢が欲しい」とか「稲を保管できる倉庫が欲しいな」とかでしょうか


つまり、今の日本は資本主義社会だから
「お金で様々なものを買うことができる」というがルールが成り立っている、
そういう「大文字の他者」が成立しているんです

だから、資本主義社会に住んでいる人たちは
「お金を稼ぎたい」という、ルール内での望み「対象a」を持つんです

例えばもし資本主義社会が崩壊し、お金がただの紙切れになり
国がすべての人民に所得に関係なく、レジャ-や住宅や食事などを施す社会(「大文字の他者」)になったら
人々はお金というただの紙切れをもらうより、権力者に気に入られようとする望み(「対象a」)を持つでしょう
(まあ、そんな社会がうまくいくのかは疑問ですが)

これが「大文字の他者」と「対象a」です

「対象a」はルール内での望みであるので、
ルールの形である「大文字の他者」の影響を強く受けます

上にあげた例のように、
お金が存在する大文字の他者内と、お金が存在しない大文字の他者内とでは
例え同じ人でも対象aが異なる、つまり違う望みを持つということです